libertarianmattersの日記

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『家父長制と資本制』再読

『家父長制と資本制』(上野千鶴子 岩波現代文庫)を再読した。

 

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 (岩波現代文庫)

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 (岩波現代文庫)

 

 

フェミニズムの現在地に暗澹たる思いをもった。フェミニズムは理論的には洗練されたかもしれないが、上野の水準を超えられていないように思えた。

 

イクメンが流行語となってなお、子育ては女性が主として担う構造は変わらない。言葉としては死語となった感もある「家父長制」も、構造的には残存している。上野の議論はいまだ理論的有効性を失っていない。

 

上野は「家父長制」について、まずハートマンの定義を引用する。

 

ハートマンの定義


家父長制を、物質的基盤を持ちかつ、男性感の階層制度的関係と男性に女性支配を可能にするような男性間の結束が存在する一連の社会関係である…
家父長制の物質的基盤とは、男性による女性の労働力の支配のことである。この支配は、女性が経済的に必要な生産資源に近づくのを排除することによって、また女性お性的機能を統制することによって維持される。

そして、上野が次のように論じるところは説得的だ。

 

家父長制の廃棄は、個々の男性が態度を改めたり、意識を変えたりすることによって到達されるようなものではない。それは現実の物質的基盤-制度と社会構造を変更することによってしか達成されない。

そう、イクメンは家父長制を廃棄しないのだ。

 

シングルマザーの貧困、これも昨今もまた注目されていることだが、この問題についても既に的確な議論を提示している。


女性は離婚してシングルマザーになることで、1人の男性による支配から逃れて、代わりに層としての男性によるより徹底した支配のもとに入る。夫がいれば女性は再生産費用分担のうち、貨幣費用ではなく現物費用だけを支払えばよかったが、シコンすれば彼女は現物費用ばかりか、貨幣費用もともに負担しなければならないからである。大かたの女性にはこれは無理だから、アメリカでも日本でも彼女たちは貧困層のボーダーライン以下に転落する。

 

繰り返しになるが、これが書かれたのは1990年だ。上野の議論に先見性があったのか、社会がまったく変わらないまま今にいたっただけなのか、あるいはその両方なのだろうか。