libertarianmattersの日記

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『弱いつながり』

 

 インターネットあるいは情報技術に包囲された世界で、いかに個人として生きるか。

 

ネットは階級を固定する道具です。…中略…人が所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくなるメディアがネットです。…中略…自由に検索しているつもりでも、じつはすべてグーグルが取捨選択した枠組みのなか。ネットを触っている限り、他者の規定した世界でしかものを考えられない。そういう世界になりつつあります。

 

東浩紀の提示は、シンプルで明確だ。

 

とはいえ、ぼくたちはもうネットから離れられない。だとすれば、その統制から逸脱する方法はただひとつ。

グーグルが予測できない言葉で検索することです。

ではそのためにはどうすればよいか。本書の答えはシンプルです。場所を変える。それだけです。

 

場所をかえること、観光客となること。そして検索ワードを変えること、グーグルに捕獲されない検索ワードを探すこと。

まったくもって共感する。しかしながら、一つだけ問題がある。僕らはそう簡単に境界を超えることはできない。場所を移動することも簡単なようで簡単ではない。

東浩紀は、高橋歩のシリーズを引き合いに出す。

5日間の休みで行けちゃう!  絶景・秘境への旅

5日間の休みで行けちゃう! 絶景・秘境への旅

 

 

でも、東浩紀ならともかく、一般の会社員が、そうやすやすと休みをとって旅行に行くというのも簡単ではない。

 

ではどうすれば良いというのか。

旅をする友人、すなわち場所を変えた人間につられて検索することならできるかもしれない。

 

そんなことを、年末年始に友人のFacebookを通じて考えさせられた。

 

それぞれはまったく面識のない友人が、まったく偶然に、あまり普通の旅行者が行かないような国に、まったく同じタイミングで滞在していた。彼らが現地で邂逅したらとワクワクしつつ、僕はこれまで調べることもなかったその国のことを「検索」した。

 

たしかに、友人の行動の範囲をこえることはないし、Facebookのつながり自体が既に取捨選択された関係性にのみこまれているのは否定できないし、現場に生に見れない、考える時間、空間は日本のままという問題は残る。

 

でも、これまで僕が検索することのなかった検索ワードをグーグルにいれた。これだけでも、世界はほんの少し広がった気がしている。